真言宗の教えをわかりやすく解説!開祖や本山、ご本尊は?

宗派

真言宗の教えは、生きているその身のままで仏に成れるという即身成仏と、教えに従い一人一人が修行に励めばこの世は仏の世界となるという密厳国土(みつごんこくど)です。
開祖は、弘法大師の名で親しまれている空海、本山は教王護国寺や金剛峯寺など、ご本尊は大日如来です。
ちょっととっつきにくい密教の宗派ですが、わかりやすく解説していきます。

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真言宗の教えをわかりやすく解説!

真言宗の教えは2つ、即身成仏と密厳国土です

真言宗の教え 即身成仏とは

即身成仏とは、生きているうちにその身のままで仏の境地に至ること、つまり生きながらにして悟りを開くことはできるという教えです。

真言宗が起こったのは平安時代初期。

それより前の奈良時代は政争が相次ぎ都が何度も代わる動乱の時代でした。

人々は現世における安寧安息は諦め、せめてあの世においては極楽へ行けるようにと願い、死者の死後の行く末を祈る浄土信仰が盛んになります。

当時の仏教界は経典研究を主とする奈良仏教の勢力が未だ強く、ごく普通の人々の精神的な救済という意味では、受け皿にはなりえる状態ではありませんでした

僅かに最澄による天台宗が一切皆成仏の法華一乗教えを掲げ、どんな人にも悟りを開くことはできると、入り口を大きく開けてくれていました。

その天台宗においてさえ、実際に仏様の世界に至るには、相当な厳しい修行と長い年月をかけなければならないとしていました。

空海は、しかし、これに対して即身成仏を主張します。

即身成仏というのは一人一人が本来持っている「仏心」を呼び起こすことによって、生きている生身のままで「仏の境地」に至ることができるというものでした。

それは、これまでにはない全く新しい教えです。

そしてこの即身成仏の先にあるのが密巖国土。

真言宗の教え 密巖国土とは?

密巖国土とは、即身成仏で一人一人が「仏心」をもって「仏のように」考え行動し、そしてお互いに高めあっていけば、この世が理想の国に生まれ変わるということです。

では、即身成仏を達成するにはどうしたらよいのでしょうか。

真言宗は別名真言密教とも呼ばれ、密教において修行を行います。

天台宗も同じく密教を修行に加え台密と称されるのに対して、真言宗は東密といわれます。

密教とは、経典に書かれている言葉を研究理解する顕教とは異なり、経典では書かれていない、いわば言葉の奥底にあって意味するものを読み解くもの。

そしてさらに、ここがとても大事なのですが、個々人の体験を通じて仏の世界を感得することです。

真言密教では、密教の理論を理解する教相と、実践する方法すなわち修法(しゅほう)を学ぶ事相の二つが重要となります。

真言密教の経典は7世紀の中ごろにインドで成立した『大日経』です。

密教の理論が書かれており、教相とはこの『大日経』を学ぶことをいい、それは実践を行う上でとても大切な修行です。

事相は即身成仏のための実践編で、その作法たる修法を学びます。

事相にも経典があり『金剛頂経(こんごうちょうぎょう)』といいます。

『金剛頂経』には灌頂(かんじょう)・護摩(ごま)・観法(かんぽう)・印契(いんげい)・真言(しんごん)などの行法の作法が書かれています。

灌頂とは、もともとインドにおいて王様が王位に就いた即位式で、頭に水を灌いだのが始まりといわれています。

仏教では菩薩が仏となる時に諸仏が菩薩の頭頂に香水を灌ぎ、仏の位に達したことを証明した儀式のことです。

それが発展して密教においては、修行者が上の位に達したことの証明として戒律を受けたり、資格を得て正式な継承者となることの儀式のことを指すようになりました。

護摩はサンスクリットの“homa”(ホーマ)からきた言葉で、古くインドのバラモン教より取り入れられた密教にのみ存在する修法です。

護摩壇を設け火を点じ、供物や白膠木(ぬるで)、ゴンズイといった柔らかい木(=護摩木)をその中に投じ、祈願をします。

観法とは瞑想のこと。

印契とは、諸仏それぞれのご利益や特性、意思などを手や指を使って象徴的に表すこと。またはそのかたちそのものをいいます。

印相(いんそう)あるいは単に印とも呼ばれ、インド舞踊に由来するという説があります。

“印を結ぶ”という言い方をしますね。
忍者などがよくやる、あれです。

もともとインドでは古来、手や指を使って意思を表すという習俗があり、それを密教が取り入れたと考えられています。

成立した時代や地方によっては差異があり“この仏様はこの印”という絶対はないそうです。

真言とはサンスクリットの“マントラ”の訳語で、“真実の言葉”とか“秘密の言葉”という意味です。

短い語句で、心を静め統一して繰り返し唱えます。

またそれぞれの仏様を象徴的に表したものに種子(しゅじ)があり、真言の一種とされています。

種子は一音節の呪文で、梵字(ぼんじ サンスクリットを表す文字)という独特の文字で表記します。

各々の仏様に1つあるいはそれ以上あり、ふたりの仏様が1つの種子で表される場合もあります。

さて、仏教における密教はインドに始まり中国を経て日本に伝わりました。

現在、本家インドではすっかり衰退してしまい、中国においても発展をみず、ただチベットやネパール、そして日本においてのみ残っています。

空海は即身成仏するためには密教こそがその方法であると確信し、当時はまだ盛んであったインドの中期密教を研究し、独自に構築しました。

これは密教の現在を見ると、偉大なる業績であると思われます。

即身成仏と六大・四曼・三密

空海は著書『即身成仏義』の中で、即身成仏に至る方法を述べるにあたって、六大・四曼・三密という点から理論を展開しています。

六大とは?

六大とは、この世界この宇宙のあらゆるものを構成するいわば要素で、地大・水大・火大・風大・空大の5つの物質と精神を表す識大があります。

人間はもちろん大日如来もまたこれらによって構成されていると空海は説きます。

それゆえ、仏も同じ構成物で成り立っているのだから、人間が仏に成れないはずはないという理屈になるわけです。

四曼とは?

四曼とは曼荼羅を絵画によって分類したときの4種の曼荼羅のことです。
大曼荼羅、三昧耶曼荼羅(さまやまんだら)、法曼荼羅、羯磨曼荼羅(かつままんだら)をいいます。

曼荼羅というのは密教経典に書かれている宇宙観をわかりやすく多くは絵画的に表したもので、複雑な理論の理解に役立てたり、観想(瞑想)の際のイメージとなります。

イメージすることで主尊(この場合は大日如来)と一体になり、また宇宙と一体なるという行法(修行)です。

曼荼羅はそれを描くこと自体も修行であり、また供養であり祈願であり儀式でもあります。

真言密教で重要とされている経典からの曼荼羅は2つです。

  • 『金剛頂経』で説かれているものでは、大日如来の智慧を表した金剛界曼荼羅。
  • 『大日経』で説かれているものでは、大日如来の慈悲を表した胎蔵界曼荼羅です。

この2つをもって両界曼荼羅といいます。

大曼荼羅は両界曼荼羅に描かれている多くの仏様をそのままの姿で、そのままの功徳とともに実感します。

三昧耶曼荼羅は諸仏諸尊の姿ではなく、それぞれの誓願を象徴する仏具(これらを三昧耶形 “さんまやぎょう”という)が描かれています。

薬師如来なら薬壺かあるいは丸薬の入った鉢、聖観音(しょうかんのん)なら蓮華、虚空蔵菩薩なら如意宝珠、不動明王なら倶利伽羅剣といった具合です。

羯磨曼荼羅は諸仏諸尊の姿を鋳物や塑像で立体的に造り、曼荼羅の形式に配置し表したもので、立体曼荼羅ともいいます。

“羯磨”とはサンスクリットで“カルマ(=業)”の音訳で、「働き」や「作用」という意味です。

東寺講堂に安置されている21の仏像群は、大日如来を中心とした羯磨曼荼羅で、空海が構想したといわれています。

これは密教の可視化の最たるものであると思われます。

三密とは?

次は三密についてです。

三密とは、身密・口密(くみつ)・意密(あるいは心密)の3つで、それぞれ事相つまり即身成仏において行うべき修法を意味します。

身密は諸仏諸尊の印を結ぶこと、口密は真言を唱えること、意密はご本尊の姿を心に描いて観想することです。

心が全く動揺しなくなり安定した状態を禅定といいます。

その禅定の状態で三密を行うことで、大日如来が行者の中に入り、また大日如来の中に行者が入る“入我我入”の状態になり、悟りの世界=仏の世界が現れるのです

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これら六大・四曼・三密が真言密教の骨子となります。

悟りを開くこと、即身成仏に至るためには六大の理論をよく理解し、四曼によって密教の宇宙を観想し、三密を通じて大日如来と一体化する。

これが真言宗の教えです。

真言宗の開祖は誰?本山はどこ?有名な寺院は?

 

真言宗の開祖は空海。

本山は京都市南区にある教王護国寺、東寺とも呼ばれます。

有名な寺院としては、金剛峯寺や善通寺、醍醐寺や平間寺、さらに成田山新勝寺などが挙げられます。

真言宗の開祖 空海とは?!

まず初めに開祖の空海について見ていきましょう。

空海は弘法大師あるいは単に“おだいしさん”の名前で親しまれています。

“弘法大師”というのは921年、入定後の90年ほど後に醍醐天皇より贈られた諡号です。
“大師”というのは高徳な僧に対して朝廷より贈られる尊称で、他にも多くの僧侶に贈られています。

しかし“おだいしさん”にもあるように、“大師”といえば“弘法大師”空海を意味し、人々に浸透したネーミングとなっているのは、他に類を見ないのではないでしょうか。

生まれは讃岐国多度郡屏風浦、現在の香川県善通寺市に774年に生まれました。
四国といえば、弘法大師ゆかりの88か所の寺院を巡る八十八か所霊場巡りが有名。

先に挙げた善通寺はまさに空海が生まれた地にあり、第七十五番札所にあたります。

空海年表

【788年】空海は14歳で平城京に上り、18歳で律令制化の式部省直轄の官僚養成機関“大学寮”において儒教に関する様々な学問を学びます。

しかしそれだけでは物足りなかったのでしょう。

山林修行に入り儒教以外の思想を研究、24歳で儒教・仏教・道教の比較思想論『聾瞽指帰(ろうこしいき)』を著します。

その後も山林修行は続き、この間に『大日経』など密教経典に出会ったのではないかと考えられています。

【804年】東大寺の戒壇院において得度受戒。

いつ頃から“空海”を名乗るようになったかは定かでありませんか、このころにはすでに“空海”と称しているようです。

前年の803年に、医薬を学ぶ薬生として遣唐使に選ばれますが、悪天候のために出航はできず。

翌、804年に長期留学の学問僧として唐へ渡ります。
奇しくも、後に天台宗の開祖となる最澄と、船は違いますが同じ遣唐使として出発しました。

唐では青龍寺に密教僧の恵果を訪れ、約半年間師事し密教の奥義を伝授されます。

当初は20年のはずでしたが、およそ2年の806年に帰国。
その2年の間に多くの密教経典のみならず、仏画や密教の法具なども日本に持ち帰ります。

【816年】和歌山県の高野山に金剛峯寺を修禅(しゅぜん)の道場として開創。

【823年】には嵯峨天皇より京都の東寺を下賜され、真言密教の根本道場とします。

(東寺は別に教王護国寺という名称を持ちますが、こちらは鎌倉時代以降に用いられるようになった名前です。)

さて“真言宗”という名称ですが、806年の帰国から823年のこの東寺の下賜までの間に空海によって公にされたのではないかと推測されています。

帰国後の空海は真言密教の確立とその普及のために休むことなく精力的に活動。。

その間にも密教に関する多くの書を著し、また書家、文人としてもすぐれた作品を世に残しました。

【835年】入定。62歳でした。

空海の入定後、その多くの寺院は皆弟子たちにそれぞれ託されていきます。

真言密教の教義は空海によって完成されていたために、理論的な論争というのは平安の中ごろまではありませんでした。

しかし密教という性格上、宗団は師資相承(ししそうしょう 師から弟子へと継承される仕方)を重視することから、分派独立が相次いでおきます。

宗団として多くの分派を抱えることとなり、現在では約50の宗派が存在するといわれています。

それぞれに総本山や大本山を擁するので、結果、真言宗では総本山、大本山と名乗る寺院がとても多くなりました。

たとえば、先に述べた教王護国寺は、正確には東寺真言宗の総本山であり、金剛峯寺は高野山真言宗の総本山。

また、空海誕生の地、讃岐国にある善通寺は真言宗善通寺派の総本山で、京都の随心院は真言宗善通寺派の大本山です。

このように多くの総本山、大本山があるのが真言宗の特徴の一つといえるかもしれません

その他に、真言宗の特徴と言えるのが現世利益を求めた御祈祷(御祈願)であると思われます。

これは先に述べた護摩を焚くという修法で、密教である天台宗においても行われ、国家安寧を願うことから個人の様々な願いまで対応します。

そのため特に江戸時代を通じて庶民の間に普及浸透し、現在もなお広く生活の一部ともなっています。

厄除けや病気平癒、商売繁盛や入試合格、安産祈願や自動車のお清めや縁結びなど、また初参りや七五三といった習慣儀礼においても行われます。

真言宗の有名なお寺は、そのような人々の願いを受け入れて信仰を広げていったのではないかと考えられます。

真言宗の有名なお寺と言えば?!

平間寺(川崎大師)

例えば、平間寺(へいけんじ)です。

ちょっとわからないかもしれませんが、平間寺とは川崎大師のこと。
ご本尊は弘法大師で、大本堂には金剛化曼荼羅と胎蔵界曼荼羅を奉安しています

成田山新勝寺

成田山新勝寺も有名。

こちらは“成田山”だけで通用するほど関東の人にはなじみのあるお寺です。
毎年の年始の参拝者数は明治神宮に次いで全国で第2位、寺院では第1位を誇ります。

金剛峯寺

金剛峯寺は和歌山県北部、1000m級の山々に囲まれた標高800メートルの所に位置するお寺です。
山の中にポツンとあるのを想像しがちですが、100以上の寺院が密集する宗教都市となっています。

2004年には“紀伊山地の霊場と参詣道”の構成資産の一部として、ユネスコの世界遺産に登録されました。

醍醐寺

醍醐寺はちょっと毛色が違います。

京都府伏見区にあるお寺で、ご本尊は薬師如来。

時は1598年、と言いますから“関ケ原の戦い”の二年前、“醍醐の花見”と称される盛大な花見の宴が、豊臣秀吉主催によりこの醍醐寺で催されました。

総勢約1,300人の大宴会で、招待されたのは北政所や淀殿や側室など近親の者たちと諸大名の女房や女中衆の女性ばかり。

男性は秀吉自身と息子の秀頼、それに前田利家だけであったといわれています。

醍醐寺ではこの宴にちなんで、4月の第二日曜日には“豊太閤花見行列”を催していて、毎年多くの参拝者が訪れるそうです。

真言宗のご本尊は?

真言宗のご本尊は大日如来です。

しかし、仏教の最高の仏様は実は阿弥陀如来です。
阿弥陀如来は他のすべての仏様の先生で、従って大日如来も阿弥陀如来の弟子になります。

なぜ真言宗のご本尊が大日如来なの?

ではなぜ真言宗では大日如来をご本尊としているかということですね。

それは金剛界曼荼羅、胎蔵界曼荼羅の両界曼荼羅の主尊として大日如来が中心に位置しているからです。

三密の修行を通じて即身成仏に達することを“三密加持”と言いますが、この三密になくてはならないのがこの曼荼羅。

そして両界曼荼羅において中心に位するのが大日如来なので、真言宗ではとても大事な仏様ということになるのです。

ただどの宗派においてもいえることですが、宗派のご本尊と各寺院のご本尊とは異なることが多いです。

教王護国寺は薬師如来がご本尊で、金剛峯寺もご本尊は薬師如来あるいは阿しゅく如来です。

西新井大師として有名な總持寺のご本尊は弘法大師と十一面観世音菩薩ですし、成田山新勝寺は不動明王をご本尊としています。

宗派のご本尊はその教義に基づいて最適と思われる仏様が選択されているようですが、それぞれの寺院においては由縁あっての仏様が祀られているのではないでしょうか。

ご本尊というのはその地域の人々の信仰の対象です。

その寺院ができた時代背景などもあるかもしれません。

まとめ

真言宗の教えは、生きたそのままの状態で悟りを開くことができるという即身成仏と、そうして一人一人が「仏心」をもてばこの世は理想の世界となるという密厳国土。

そのためには、密教の理論をよく理解する教相とその実践編である事相の二つがとても重要となります。

ご本尊である大日如来は、金剛曼荼羅と胎蔵曼荼羅の両界曼荼羅の中央に位置して宇宙と一体、宇宙そのものであるということ。

行者はそれを観想することによって宇宙である大日如来と一体化し、即身成仏へ至ることできるようになります

このような密教理論を構築したのは空海。

空海は唐にわたって密教について研究と修行を重ね、帰国後真言宗を開きました。

その教えは最澄の天台宗とともに平安仏教の双璧となり、その後の日本仏教に多大なる影響を与え、今日まで脈々と継続しています。

そしてこれからも人々の願いに寄り添う教えとして発展を続けると思われます。

 

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